今年の山行担当として、私は己高山を計画することになっていた。ところが、年間予定をよく見ると、その予定日の3日後に横山岳がある。すぐ奥の山である。時間も場所も近すぎる。私が計画の具体化にかかったのが遅く、横山岳の担当の方に連絡を取ってみると、そちらはすでに原稿送付済みとのこと。参加希望者が真っ二つになって、両方とも不成立なんていうことになったら最悪。これは私の方を中止すべきだろうと判断し、勝手ながらそうさせていただいた。会員の皆さんにお詫びを申し上げます。
私自身も女房ももろもろの事情で、ここしばらく山登りをしていない。何とか再開のきっかけを作りたい。自分の計画を中止するのなら、横山岳に参加させてもらうのが手っ取り早い。というわけで、女房共々手を挙げた。この山には思い出もある。今回、山行から帰ってきてから、山行記録手帳を引っ張り出してみたら、なんと、ちゃんと記録していた。いばることもないが、いばりたい。私が山友会に参加する前のことなのだ。どこかで、記録をとることを聞きかじって、実行していたらしい。
1998年元日、二人で己高山(923m)に登った。雪がちらつく中、誰にも会わなかった(当たり前か! 元日に山登りする物好きは多くあるまい)。この頃、里山歩きよりちょっとは手ごわそうなところにやっと登りはじめた頃だ。次は1000mを越える山に、と横山岳が候補にあがった。この秋、初めての市民登山で白山に参加した。そのトレーニング山行の前に、初めて本格的な登山靴を買っている。シンドイ思いをしてなんとか白山には登れたが、まだ山友会に入れてもらう決心がつかない(当時の山友会は、「キビシイ」との悪評?があった)。もう少し鍛錬が必要だろう。そして、1998.11.7に横山岳(1132m)決行! それなりにキツイ山との情報は得ていたのか、観光を兼ねて前日出発、近くの宿に泊まっている。リッパ! 登り3時間35分、下り2時間20分。自分で「スローペース」と書いているが、案内書の「登り2時間20分(休憩を含まず)」を「ちょっとおかしい。短すぎる」なんて生意気なことも書いている。駐車場についてみたら、ほかの車はもうなく、一番最後(いま思うと「オーコワイ!」)。
11月9日、13年と2日ぶりに横山岳に出発。登りにロープを伝う急坂があったことは記憶にあるが、あの当時に登れたのだからという甘い期待があった。久しぶりの山行日の早起きがこたえる。登り口出発。途中から、川沿いの旧道を登るとのこと。どうやら、これが昔登った道らしい。草が覆いかぶさり、あまり使われていないみたい。やっぱり結構しんどい。立派な林道へポンと出る。こんな道は、昔なかったんじゃないか? その後も急登続き。尾根が近づいたころ「あと200m、ガンバレ」なんていう看板が出る。これで気が緩んだわけではないが、大腿部に「ツリ」の前兆症状を感じる。これはヤバイ。先行者のお一人が同症状?で、休んでいらっしゃったので、私も大事をとって、臨時休憩を願い出る。結局みなさんが弁当をお開きになったころに遅れて山頂到着。昼食休憩で回復。東岳往復へも参加する。あの白山が見えた。前回はここへは来ていないが、なんだか因縁を感じる。
あとは下るばかり、というわけだが、こちらの方が登り以上に記憶になかった。こんなに急坂続きだったかなー、と。そして、やってしまった! よろめいたはずみに、踏ん張りが利かず、一段下へ飛び降りてしまって転倒。1回ひねり3回転!。幸い、何事もなかった。実は、この山では13年のさらにちょっと前、山友会では記録に残る事件があった。その教訓話でもしてもらおうかなんて考えていたのに、なんのことはない、自分が教訓話を書かねばならなくなった。そんなわけで、帰りの車の中でリーダーからの指名を受け、感想文を書かねばならぬ羽目になった。「久しぶりの参加者」ということだったから女房の方へのご指名だったような気もしたが、事故当事者としては逃げるわけにはいかず、引き受けた。でも、事故話の方もそれなりに長くなりそうなので、別稿とさせていただきます。
お世話頂き、ご心配をおかけしたリーダー諸氏および同行者の皆さんにお詫びとお礼を申し上げます。 |